かがみの孤城をみました

アマプラで見放題になったのでかがみの孤城をみました

見てよかったなと思う作品でした

 

 

 

いつものようにネタバレ注意で色々書いていきますすが、

 

今の人も昔の人(=今の大人)も未来の人も悩みがあってとても苦しいけれど、助けてくれる人はいて折り合いをつけながらなんとかしていくんだろうなあと思いました

大人(=昔の人)が助けてくれたように、今の人も次の世代を助けられたらいいよね

 

心身症は難しいなと思うけど、主人公の味方になる大人がしっかりいてよかったです

こんないいカウンセラーいるか?と思ったけど、この人ならたしかにこうすると思えたのもよかったです

 

 

自分は、昔、辛いときに助けてくれる人はいないので自分でなんとかするしかないというライフスタイルを選択してしまったので、むしろ助力があったりすると裏がないかと困惑してしまう(でも本当は助力がほしい)というめちゃくちゃ面倒くさい人間になってしまったけれど、それでも、よく考えたら、いい人はいてそういう人たちのお陰で最善ではないけれどなんとかここまで生きてこられているのかもしれないと思ったりしました

 

前回の記事でも書いたけど、いつまでも15歳の中学生でいる場合ではないんだろうなと思いました

過去に自分を助けてくれた人がいたかいないかなどは関係なくて(本当はいたんだろうけど)、今協力しあえる人を作って、今と未来を一歩ずつ作っていかなければいけないのだと思います

 

 

手始めに、手を差し伸べてくれる人の手をちゃんと握り返せる人になりたいです

そして、自分にできる範囲で誰かに手を差し伸べられたらいいなと思います

 

書き散らかしてしまったのでいつか綺麗にまとめ直したい

ニュース特集を見た

テレビで安楽死の話が特集されていました

是非とかそういう話は難しいのでおいておいて、

ついさっきまでカメラに向かって話をしていた人が旅立たれていたのは心に来るものがありました

一方で、直前に取りやめて看取るはずだった人が少し嬉しそうにしていたというのも印象的でした

 

あんまり生きてて良いことないなとかよく思うけど、あまりになにもなし得ていないのでまだ死を考えるとかそういう時期ではないなと思いました

今を真剣に生きていないので、充実していないと思うのだろうし、それが分かっていながら変革するのが大変だから何もしないでいようとするダメ人間なわけですが……

 

そして、いつまで経っても「私」から抜け出せないあたりもダメなんだろうなとも思いました

荷造り

今日は3月9日ですね。

自分の人生に3月9日はそれほど大きな影響はなかったように記憶をしていますが、なんとなくレミオロメンの3月9日を聴くとセンチメンタルな気持ちになります。

 

今度引っ越しをすることになりました。ブログの話ではなく現実のお話で。

比較的荷物が少ない人間なので、少ない荷物をみて自分の価値はこれっぽっちだと思わされるような気がしたり、今の時間をもっとよい時間にすることができたはずなのに結局たいしたこともできず過ぎてしまったというのを突き付けられるような気がしたりして荷造りはあまり好きではありません。

 

次の環境では、今より多少なりとも幸せになれるのでしょうか...

 

追記:新しい環境に不安を覚えるのは今最善を尽くせていなかったからなのでしょうか

シメジシミュレーションを読みました

少女終末旅行が好きだったので、作者の次回作のシメジシミュレーションを読みました

 

 

ややネタバレ注意ですが、

元より一人きりであれば他人を捜しに行くこともないですが、自分と関わる他人(友達?)がいると知ってしまった以上ずっと孤独ではいられず、他人とのコミュニケーションをとらずにはいられないという考えが印象的でした

 

哲学的な知識はないのでまたいつかゆっくり考えられたらいいなと思います

1月

日本の中で色々あった1月ですが、1月は自分の誕生月でした

 

いま暮らせているのはただ運が良かっただけだと思っているけれど、そうでなかった人との違いは何なのだろうとふと思いました

考えても結論は出ないので、自分のできることで、誰かが望むことを少しでもお手伝いすることくらいしか誰かのためにできることはないのかもしれません

 

*

 

人の誕生日を誰かと一緒に祝うことがしばしばありましたが、自分が祝われたことはそうそうなかったという思いで生きてきました

幸い祝ってもらえた経験はありますが、なんというか自分には不釣り合いな感じがしてどういう表情・感情になればよいかよくわからなくなった思い出があります

 

思いがけない人から声をかけてもらえた時は嬉しかったし、今まで声をかけてくれていた今年は声をかけてくれなかったことに悲しくなって誕生日は静かに終わりました

 

いつか主役になりたいと思いつつ、主役たる在り方が分からない自分に主役になる日は来るのでしょうか

旧知の人と会った

先日、2年ぶりに会う人がいました

自分にとっては昔非常にお世話になった人ですが、向こうはどう思っているかはよくわかりません。

それでも、私にとって、時間があいても連絡しようと思えてお返事が返ってくる人間関係は貴重なので大事にしたいと思いました

 

自分といわゆる"別グループ"に属する人で、そのグループは人間関係うまくやってそうに見えていたけれど、そういう人でも連絡とらないしとるのも遠慮するような人がいるというのが少し驚きでした

 

縁が切れないうちに次の機会があれば嬉しいものですが...

葬送のフリーレンをみている

少し流行から遅れて葬送のフリーレンのアニメを見始めました

1話と2話が特に秀逸だと思います

 

ハイターの言葉が印象的でした

「私がこのまま死んだら、彼から学んだ勇気や意思や友情や、大切な思い出までこの世じゃらなくなってしまうのではないか」

 

生きる意味とか考えて結局よくわからなくなるけれど、こんな風に生きていきたいなと思える考え方でした

他人の為だけに生きるのは疲れてしまうし報われないし、自分の為だけに生きるのは生きづらいし、

結局どこまでも自分のために生きているけれど、自分が生きていることで他人が生きて自分に残してくれたものを体現できるという意味では他人の為にもなる生き方だなと思いました

誰かが自分を助けてくれたからという理由で自分が誰かを助ける必要はなくて、自分が誰かにしてもらったことを他人にしてあげる必要もなくて、そのために見返りも何もない孤独で辛い生き方だけど、「勇者ヒンメルならそうするだろうから」ヒンメルの姿をみてきた自分たちがその気持ちをこの世に残しておくために行動して、自分の人生でこういう人に出会って生きてきたという姿をみせて生きていくという行動指針はよいなと思いました

 

いつかそうして、女神さまに褒めてもらえて贅沢三昧出来たらうれしいですね

...生臭なので生きているうちに褒められたらもっと嬉しいですが

 

私は何かを作りたい、残したいと漠然と思うけれど、誰かが自分に関わって自分に与えてくれたものを形として残しておきたいのかもしれないですね

 

アドラー心理学の本をいくらか読んだ時期がありました。この話とうまく絡めて考えられそうな気がするので読み返していつか記事にしたいです