【推しの子】をみた:「誰か」は「誰でも」ではない

少し流行から遅れて【推しの子】をみました。結構面白かったです。

全体的に目が印象的だなと思いました。

 

 

以下ネタバレを含みます。

 

最終話を見て思ったことがあったので少し書く。不正確なところがあるかもしれない。

ライブシーンで、センターの子が「誰か私をみて」と思っていました。

ただ、その前のシーンで見切れているけれど、(たぶん)その人のカラーのサイリウムが振られている描写があります。

もしかしたら主人公の振ってるサイリウムかもだけれど、その時点で「誰も」その人をみていないわけではないのに「誰か」みてほしいと思っています。

結局、主人公がその子のサイリウムを振ってくれているのをみて、色々な決意をするわけですが、それが誰か知らない人だったとしたら多分目に入っていないだろうなと思いました。

 

自分もそういうところがあるけれど、「誰か」助けてほしい、は本当に「誰でも」よいわけではなくて、知っている、好意的な印象のある人に助けてほしいんだろうなと思いました。

実際、知りもしない人から行為を向けられても不審者だと思うだろうし。

 

他の二人を応援するサイリウムが目立つけれど、おそらくその二人にとってサイリウムを振ってくれている人たちは知らない人がほとんどでしょうし、それをもってたくさんの人がみてくれている、私には誰もいないというのは少し釣り合わないんだろうなと思いました。

その点、主人公が3人分のサイリウムを振っているのは救いですね。

 

それから、当初は黄色が目立っていたサイリウムが、段々赤が増えてきて、最後は白も増えてきているけど、あれはどういうことなんでしょう。

その人が気に入ったからわざわざ新たにサイリウムを光らせたんでしょうか。

演出だと思うけれど、あんまり特定のグループを推したりしたことがないのでその辺のことがよくわかりません。

 

2期もあるらしいですから、待っていようと思います。

漫画はまとめて読みたい人なので、完結しない間は読んだとしてもアニメ化した部分までしか読まないと思います。

 

※文章があまり成り立っていないので、あとで編集するかもしれません。